ある日、夕顔姫は両親に「武州元木村に庵を建てて、心安らかに暮らしたい」と願い出ます。
そして庵の側に持仏堂を建てて、新しい暮らしを始めました。
夕顔姫の庵にはその優しい人柄と信仰心を慕って、多くの人々が集まってくるようになりました。夕顔姫はそれらの人々を分け隔てすることなく、温かく迎えたのです。
やがて夕顔姫は庵に集まってくる子どもたちに、読み書きを教えるようになりました。
大人たちも夕顔姫に読み書きを教わるようになり、どんな相談でも親身になって聞いてくれる夕顔姫に、人々は大きな信頼を寄せるようになります。
ところが数年たったある日、夕顔姫は風邪がもとで亡くなってしまいます。
子どもたちは大声で泣きじゃくり、大人たちも悲観にくれていました。
人々は在りし日の夕顔姫を偲び、その姿を観音像に刻んで、夕顔姫の威徳を末永く後世に伝えたいと考えました。こうして、人々の思いを込めて刻まれた観音像は、いつしか「夕顔観音」と呼ばれるようになり、人々の篤い信仰を集めるようになったのです。