地蔵菩薩像 |
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墓地の一隅、歴代住職の墓の傍に地蔵菩薩像がある。石質がよいので、あまり磨滅も、欠け損じもない。舟型で、高さ85p、横は45p程である。種子、力の彫りも、年数のたった割合には、はっきりして美しい。紀年銘の「天明九丙午三月十九日」(1789)も、戒名の「法印栄誉」も美しい彫りである。
浮彫りの地蔵尊像は、錫杖の一部が欠け損じているが、他は、磨滅もなく、美しい。殊に、ふくやかな耳朶、衲衣の線、温容な風貌は、慈悲の相溢るる感がある、よい尊像と思われる。 |
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五輪塔 |
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寺域の一隅、植込みの中に、古めかしい五輪塔があり、高さは92p程のものであり、地輪に彫られた紀年銘は、「寛永十三年卯月十一日」(1636)である。「道永禅定門」の戒名も比較的はっきりしてる。住職の話によれば、何代かの先住職の墓であろうとの事である。 |
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笠塔婆 |
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寺域の一隅に、石造笠塔婆がある。塔身は、一辺が30p、高さが95pの角柱である。台座は、幅55p、長さ70pである。高さは30p程である。笠は、幅56p、奥行31p、高さ30pほどである。笠は、正面に唐破風をつけた入母屋造りであって、唐破風の中央下端には、蕪模様の兎毛通(うのけどおし)をつけている。
塔身には、華頭形のくりぬきの中に、虚空蔵菩薩が浮彫りにされている。尊像の下には、「十三仏供養」と右側に、また左側に、「一万三千座修畢」と、二行にわたって彫られている。 北面には、「天和二壬戌年」(1682)の紀年銘が比較的はっきりと彫られている。 南面には、上部に、種子キリークが刻まれている。その下に、三段、各段、三行にわたって、戒名が彫られてある。「心誉順□信士」、「慈辺道□信士」、「修養賢安信士」等である。その下、第二段目には、「□□□春信士」、「信養仰前信士」、「花道□前信女」、とありその下、第三段目に、「□為母□□」、「為□□□□」、「為□□□□」、とあって、他は読みえない。 |
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供養塔 |
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本堂の傍らに、小さい供養塔がある。縦は22p、横17p、高さ75p程の角柱である。上部には、梵字で、弥陀三尊仏が彫られている。彫りはまことによい。紀年銘は、「文化七庚午年二月吉日」(1810)である。そして、銘文「奉供養普門品塔講中」とある。寺伝によれば、当寺がかつて、文化年中、火災にあい、その後、寺院再建された時、檀徒が、浄財を持ちよって、造立寄進したものといわれる。
その他、当寺には、
(1)「元禄十五年十月二十九日」(1702)の紀年銘の「観世音菩薩像」
(2)「享保十九寅八月七日」(1734)の紀年銘の「地蔵菩薩像」
(3)「宝永五年六月四日」(1708)の紀年銘の「地蔵菩薩像」等がある。 |
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六道しるべ |
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亡くなった後、「六道輪廻」の道を歩む人々の道しるべとなるようにという願いを込めて建立されたもので、裏側にはかなり磨耗していますが紀年銘「建仁元年」(1202年)の文字がはっきり見えます。 |