●職歴及び業績 |
日本航空株式会社 日本を代表する世界的航空会社。
1969年10月〜1997年9月 |
カイロ支店長(部下26名) |
●中東全域及び南東アフリカを統轄し、同地域におけるJAL のプレゼンスを維持。セールス、マーケティング、代理店施策、インターライン施策を通じて海外拠点の維持・管理ノウハウを蓄積。 |
●支店年間販売目標設定、計画策定・実施、実績管理を含めP/L責任を負う。 |
●湾岸戦争の余波で低迷した当市場の売上を回復すべく代理店に新販売支援策を適用、直営店に新価格を導入、5年間で支店売上を月間20万ドルから100万ドルに増進。 |
●着任後2年間の観察期間を経て、過剰配員の削減を実施。インタビューと説得を重ね現地職員9名依願退職、本社派遣社員1名を現地職員に切り替え。トラブルなく人件費の適正化を実現しつつ販売成績を向上。 |
●現地職員のモラールを向上させるべく、客観的且つ理解し易い給与賃金体系とボーナス制度を作成、実施。悪評等の廃止、抜擢人事、信賞必罰のルールを明確化しモラール向上に成功。減員後も売上を伸長。 |
●部下の販売能力、企画力、マネジメント能力、店舗運営能力を指導。販売代理店の質の向上を図るべく頻回に訪問、指導。 |
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ジュネーブ営業所長(部下7名)1986年〜1991年11月 |
●営業所販売目標策定、販売促進及び宣伝企画推進、代理店支援、実績管理を行いP/L責任を負う。 |
●ジュネーブにおける拠点長として国際機関及び日系海外進出企業へのセールスを積極推進。当地域はオフラインのため同業他社の協力なしには航空券が販売できない状況下で競合と協調を確立、共同サービスによる各種商品を開発。 |
●自らヨーロッパの航空事情に精通し、営業社員に対し国際的視野、商品知識、運賃知識、新商品開発(呼び寄せ、里帰り、F・C・Y・、他社との共同サービス)並びに宣伝について徹底訓練、営業力の強化を通じ新規顧客を開拓。 |
●上記努力により3年間で売上を月間30万ドルから70万ドルに伸長させ親支店(チューリッヒ)を上回る実績を達成。 |
●スイス人、フランス人、日本人の混在する多国籍支店を公正なる人事管理(異動、昇格、昇進、リストラ)を通じ一体感を確立、グループとして営業力を強化。 |
●営業所経費(主として人件費)の高騰を抑えるべく日本人派遣員を減員し、年間2,000万円を削減しつつ売上を維持。 |
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東京支店旅客販売課長(部下30名)1982年9月〜1986年5月 |
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東京支店旅客販売係長(部下15名)1976年1月〜1978年11月 |
●日航の最重要支店で総売上の70%をしめる海外渡航市場を担当。大企業(商社、メーカー、金融、他全て)及び諸団体(スポーツ、宗教、文化、芸能他)へ企画販売を積極推進、併せて不特定個人旅行者へも対応。年間約800億円の売上目標を達成、維持、伸長させ社業に顕著に貢献。 |
●国際線旅客の動きに関するノウハウを蓄積、各種商品開発を企画部へ提案、寄与。 |
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中東地区支配人兼ベイルート支店総務課長(部下7名)
1978年12月〜1982年8月 |
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ベイルート支店 運送マネジャー(部下7名)1971年12月〜1975年12月 |
●中東地区全域を統括し、路線展開、販売政策、現地職員の人事・配員・管理を含め、航空ビジネスの多面的知識・ノウハウを体得、中東のエキスパートとしての道を確立。 |
●政情不安と砲弾の飛び交う内乱下で、邦人の引き揚げのため安全なタイミングを見極め救援機を手配、安全運行に身命を賭して努力。リスク管理上貴重な体験を蓄積。 |
●総務、経理、人事を含め海外での拠点管理のノウハウを修得。 |
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東京空港支店 国際旅客部 旅客課員 1969年10月〜1971年11月 |
●空港での旅客サービル全般を担当し旅客ニーズを把握。 |
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大成建設株式会社 1968年4月〜1969年9月 |
●国内ゼネコン大手。海外にも展開。 |
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海外プロジェクトオフィス渉外担当 |
●サウジアラビア(ダハラン)の大学建設工事にてプロジェクト受注から完工までの渉外業務を一貫して遂行。厳しい自然条件と異文化の下での業務遂行ノウハウを体得。 |
●現地職員の採用、労務管理、通訳を担当。 |
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